2010年8月16日月曜日
クライング・イン・ザ・チャペル/ Crying In The Chapel
クライング・イン・ザ・チャペル/ Crying In The Chapel
リバプールサウンドが全盛の1965年。
ビートルズの<涙の乗車券>、ローリング・ストーンズの<サティスファクション>連続ナンバーワンをかっとばしたスプリームス<ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ>そして歴史に残る名作、ボブ・ディランの<ライク・ア・ローリングストーンズ>、等永遠の名曲が登場した年だ。
そんななかを一曲の静かな曲がヒットチャートを駆けのぼった。
サントラ盤を除くと<悲しき悪魔>以来の勢いのあるヒットだ。
<クライング・イン・ザ・チャペル>である。
チャペルで祈る私の姿をあなたは見ましたね
そこで流した私の涙は喜びの涙だったのです
私は満足の意味を知っています
今私は主にあって幸せです
そこは素朴で簡素なチャペルです
謙虚な人々がお祈りにやってきます
私は日々をしっかり生きぬくために
主がもっと私を強めて下さるよう祈ります
私はひたすら探し求めつづけました
けれどもここのほかには心の平和を得られる場所は
世界のどこにもなかったのです
今私はこのチャペルで幸福です
ここでは人々の心は一つです
私たちはこのチャペルに集い
ただ主の誉め歌を歌い主を讃えるのです
あなたはひたすら探し求めつづけるでしょう
けれども、ここのほかには心の平和を得られる場所は
世界のどこにも見つからないはずです
あなたの悩みをチャペルに持っていらっしゃい
そしてひざまづいて祈って下さい
するとあなたの重荷は軽くなり
きっと新しい道が見つかるでしょう
リリースは65年4月だが、レコーディングは60年10月30日、31日にかけて行われた。
61年2月の大ヒット曲<サレンダー>を収録するためのセッションのはずだったが、エルヴィス・プレスリーは<主の御手を我が胸に/HIS HAND IN MINE>など大好きなゴスペルを歌いまくってゴスペル・セッションと化した。
除隊後、新たな局面への不安と野心がみなぎった緊張の再活動へ自分を投げ込んだ様子が伺える。この時のゴスペルは主に『心のふるさと/HIS HAND IN MINE』に収録された。
シングル<クライング・イン・ザ・チャペル>裏面の<天の主を信じて>は入隊前のアルバム『心のふるさと』からのカットだ。両面がゴスペルで整えられた。こちらでもうっとりするほど柔らかなエルヴィスが聴ける。
『心のふるさと』を収録した時代。ロックが市民権を得た時代ではなかった。エルヴィス・プレスリーは白眉のスーパースターであったが、同時に非難の対象でもあった。ロックンロールが一過性のものであるという印象が巷にも業界にもあった。エルヴィスもそれに留まる気持ちはなく、野心的だった。
カンツォーネ<イッツ・ナウ・オア・ネヴァー>での驚くようなパフォーマンスに続いて、<クライング・イン・ザ・チャペル>はエルヴィス・プレスリーがどんなアーティストであるのか、そのロックンローラーとしての激しいパフォーマンスの向こうにある等身大の心情をさらけだしたセッションから生まれた。
エルヴィス得意のイントロなしのスタート、ピアノとコーラスが追いかけるような展開は歌一本、歌だけで音楽の頂点にたったエルヴィスならではの音楽への心意気が伺える。
ひとりの人間の人生の一場面を歌ったものだが、イントロなしのスタートによって、そこに至るまでのドラマが匂いたつ短編小説の香りのするような曲。孤独な青年をそれ以上に孤独な表現者が描いた世界を呼吸とともに聴かせる。
”Get down on your knees and pray”神の前にはちっぽけな存在でしかなく、” l'll grow stronger ”神なしでは強くなれないことを心こめて歌っている。
ナマなエルヴィスが敬虔な気持ちをより一層身を正して立っているので、信仰心のないピエロも思わず教会の窓からのぞき見してしまう。愛ピエロに一歩近付く楽曲だ。
エルヴィスが67年にリリースした<青い涙>の作者グレン・グレンの親アーティ・グレンが1953年に息子のために作った楽曲。
すでに多くのミュージシャンが取り組んでいたので<涙のチャペル>のタイトルで国内でも知られるが、後発ながらエルヴィス盤はその最高峰となった。”You saw me ””Get down "の声が離れない。エルヴィス・バラード数あれど屈指の名作だ。
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